日本ならではの伝承は我々でも
失礼します、長文になりますので、興味ある方はホームページまで。
日本の偉大な先人は数が多く、学習が追いつきません人生は短いのでどこまで知れるのか。
その60歳までは、あっという間です。いつか確定はしていませんが終わりはあります。
毎日何度も霊柩車を見送りする先生および看護師さんは偉大です。
一人の命が発するメッセージはそれぞれ大切です、財産と共に後世に残したいのは
誰でも同じ願望です。相違なく命の重さは平等同じですが表現には個人差が生まれてしまう
私のなかでは、後の世にも理解できる格言を残す事ができた武将、それは藤堂高虎公であると思っております。
寝屋を出るより 其日を死番と心得るべし かように覚悟極まるゆえに 物に動ずる事なし
あるいわ
案が一つしか無ければ 秀忠様がそれに賛成した場合 私に従った事になる しかし
二つ出しておけば どちらかへの決定は 秀忠様が行った事になる
あるいは
武士たるもの 七度主君を変えねば 武士とは言えぬ。
どれも私にとっては大切な格言であります。
どれだけのお城を造られたのか、どれだけの主君に仕えられたのかは、わたしごときが語れません。後世にわかりやすく記述として残してくださることはとても有難いです。
まねを出来るわけありませんし、どなたかがして欲しいとの思いもありません。
我々の職場では、昭和の頃職人は口下手で、言葉に表すのがが不器用でしたし、
割と勝手な思考でありました。
ある、左官の親方に教わった時期があります。職人は皆盗んで覚えるんだと、組に使ってもらえるように意欲があれば進んで技を盗むべきであると。
とは言いつつ、いろんなことを教わっており、こての先を使うのは小手先を使うということだとか、確かにこての後ろ側を使って京壁を塗ればきれいに仕上がりました。
左官工事は、過酷な労働です、材料は重いし体もきつい、そのためモルタルのこね屋さんという助っ人がいたほどです。腕は太くなります。
大工さんの場合は、特に仕事が多く覚えることが大変です。口下手だし寡黙な人が多く
教わるのは大変、ほんと線一本間違えないようにしています、きざみがあれば余計です。
大工さんも、宮大工、在来大工、内装大工と種類が違いました。仕事のレベルも違います。
ユニットハウスや、メーカーハウス、は後発の職種ですので、ハウスメーカーによっては
安価に請けるそうです。作業的にはどの大工さんも同じなんです、のみ、かんな、げんのう
墨、ビス止め工具、ドリル、コンプレッサー工具使う道具も同じです。一部は違うものもありますが。大工さんの作業は特に音でその人の技量がわかるものです。
日本ののこぎりは、引くちから7部押す力3部というのでしょうか、刃の目が引くときに切れるようになっているため加減がいるのです。力の配分が適性で刃も研いであれば気持ちのいい音がします。げんのうで釘を打つときも釘が入っていく音がします。
違っていると、音で判断できるほどです。
私は皆様の、大切なお城を造る過程のおもしろ話をしてみたいだけです。
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